アイヌ民族

留萌本線廃線区間とアイヌ語地名

2016年12月5日に廃止となった、留萌本線の留萌~増毛間。
路線跡の遺構を巡りながら、駅名の元になっているアイヌ語にも触れてみましょうか。
スタート地点にしたのは、留萌~増毛間の終点駅である増毛駅。
廃駅となった後、観光施設として開業当時の姿に改修されて復活。
ホーム側もご覧の通り、列車が入って来そうな雰囲気です。
さて、この「増毛」の町名の元になったのは、mash-ke(カモメ・処)というアイヌ語。
元々は浜益(浜益毛)の地名でしたが、運上屋が増毛に移り、地名も一緒に移った様です。

構造物の多くは消えてしまいました

増毛を出た汽車は箸別駅に向かいます。
箸別駅は駅関連施設が撤去され、小高い路盤跡が残るだけでした。
アイヌ語pash-pet(炭・川)、hash-pet(柴・川)など、箸別の語源には諸説ある様ですが、箸別川を指していた地名です。
続く朱文別(しゅもんべつ)は、shupun-pet(ウグイ・川)が語源の様です。
朱文別川は、ウグイが沢山いる川だったんでしょうね。
こちらも駅舎やホームは消え、路盤跡だけが遺っていました。
次の舎熊駅は、駅跡の周辺がパークゴルフ場になっており、休憩所の様な建物がありました。
ここも駅関連施設は撤去済みでした。
地名の由来はshat-kuma(乾かす・棹)で、海岸に魚の干場があったからだとの事。
アイヌ語nup-sam-pet(野の・傍らの・川)から転じた信砂(のぶしゃ)。
今では住宅が立ち並んで、野の傍らの川かどうかは分からなくなっていますが(^^
信砂駅も駅舎やホームは無くなっていましたが、路盤と線路を見る事が出来ました。
次の阿分駅。Ahun-ru-par(あの世・路・入り口)が転じたものとの推測があります。
道内各地には、そう呼ばれる洞窟があるので、ここ阿分にもあったのかも知れませんね。
阿分駅も、遺っていたのは路盤の跡だけでした。

そしてついに出会えました!!

ここまで路盤跡しか遺っていない駅が続きましたが、お待たせしました。
礼受駅には、貨車駅舎がしっかりと遺されていましたよ。
礼受駅は、元々の木造駅舎の基礎の上に貨車駅舎を設置したそうで、大分錆びてはいますが、かつての姿をとどめていました。
地名はreuke-p(曲がっている・処)というアイヌ語が語源。
礼受地域のカーブを描いている海岸線が、地名の由来の様です。

続いての瀬越駅は、駅舎、ホーム、そして線路も遺されていました。
構内は立ち入り禁止なので、外側から撮影。
最後の最後に来て、二駅連続で遺構に出会う事が出来ました。
さてこの瀬越駅ですが、元のアイヌ語での意味は分からなくなっている様です。

さあ、締めくくりは、この路線最大の駅、留萌駅です。
昔はアイヌ語地名の当て字「留萌」をルルモッペとアイヌ語のまま読んでいたとの事。
そのrur-mo-ot-peは、「潮・静かで・ある・処」という意味だそうで、その昔の留萌湾を指していたのかも知れませんね。

ここまで、留萌~増毛間の廃線跡を辿りながら、アイヌ語地名の意味も見て来ましたが、オロロライン沿いは、実にアイヌ語地名が沢山遺されている地域です。
アイヌ語地名と、それが表現している地形を照らし合わせながらの旅も、ただの観光地巡りとは違う味わいがありますよ~♪

この記事を書いた人

hoshiboo

1959年産。
函館で生まれ育ちましたが、キャンプで全道を回るうちに道北の小さな集落に惹かれ
そこに友人も何人か出来てしまって、十数年前に移住。
山間部で家庭菜園を楽しみながら、時々旅している地産地消を推すおっさんです。

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