深名線。
日本一寒く、北海道一雪が多い幌加内町を経由して、深川と名寄を結んだ鉄道路線。
木材や旅客の輸送に活躍しましたが、やがて赤字路線に転じ、1995年9月に廃止。
その路線があったこと自体を知らない道民も多いかも知れません。
しかし、それから35年以上経った今も、現役当時の遺構がまだ各地にありました。
次々現れる深名線の遺構
今回のスタート地点は、深名線の起点深川駅でも終点・名寄駅でもなく、名寄と羽幌を結ぶために計画された未成線・名羽線の中継地でもあった朱鞠内。
朱鞠内駅から終点の深川駅までの遺構を辿ります。
朱鞠内は冒頭の写真の様に、駅名標と、雪の下にはレールが遺されています。
線路があった場所は道路になり、その向こう側にはバス待合所が建っています。
ここを出て深川に向かうと、まず現れるのが添牛内の駅舎です。
添牛内の駅舎は、地元住民が倉庫として活用していましたが、その後放置され、しかし2017年、有志により駅名看板が復活。
2021年には、駅舎の修繕が行われる予定だそうですよ。
元駅前に倉庫だけが残る新富駅を過ぎて、次の政和駅です。
廃駅後は、ほぼそのままの形で新規就農予定者の住宅になったり、食堂になったりしましたが、今は壁が張り替えられ、駅舎らしい雰囲気は無くなってしまいました。
が、正面右側に駅舎の痕跡が!!
「せいわ」と書かれた駅名札がしっかり遺されていました。
そして、元駅前には重厚な作りの農協の倉庫も。
この政和駅から少し進むと、今度は雨竜第三橋梁・通称「ポンコタンの橋」が現れます。
この橋は、深名線廃止後も保存会の方々の手で塗装し直されたりして現在も大切に保存され続けています。
いや~、現役の鉄橋じゃないかと見まごうほどの立派さですよね。
悲しい運命をたどった遺構も
臨時駅であった政和温泉駅、雨煙別駅は、駅関連施設はすべて撤去されています。
続く上幌加内駅は、朽ちかけてはいますが駅名標の枠がありました。
雪の下には、木造のホームも遺されている様です。
残念な運命をたどったのは、次の幌加内駅でした。
幌加内町で最も古い歴史を持つ幌加内駅は、廃駅後もバス待合所などとして活躍。
しかし2000年3月、なんと火災によって焼失してしまいました。悲し過ぎる…
遺されていた駅前ロータリーやホームも、その後の道路工事の為に無くなってしまいました。
次の新成生駅は、廃駅後の道路工事の為に、全ての施設が撤去されています。
有志に守られ、今も残る駅
沼牛駅は、町民や鉄道ファンの尽力によって清掃、修復がなされ、今もイベントが行われたりしている駅です。
駅の裏手にはホームも遺されており、最近では腕木式信号機も設置されました。
豪雪地帯のこの雄大な自然の中を、蒸気機関車が煙を吹いて走っていたんですねぇ…。
この沼牛駅に関して、「おかえり沼牛駅実行委員会」が、活動費用を募るために、クラウドファンディングや、グッズの販売を行っているそうです。
さぁ、そして次の鷹栖駅は…
こちらは大分くたびれてはいますが、駅舎が遺っていました。
ホームも遺されていましたが、今後の劣化が心配です。
何も無くなってしまった下幌成駅を過ぎ、貨車駅舎であった次の幌成駅は、駅があった場所からは移設され、現在は工場の事務所として使われていました。
かろうじて「幌成駅」の文字が見えます。
続く宇摩→多度志→上多度志→円山駅は、廃止後に関連施設が撤去されました。
そして締めくくりは、深名線の起点であった深川駅。
深川駅は、函館本線の中継駅、留萌本線の起点駅という、道北の鉄道路線の重要な役割を背負っているだけあって、デカい!!
駅舎内には深川物産館もあり、深川や周辺地域の特産品をゲットできますよ。
ということで、ここまで、1995年にその役目を終えた深名線の遺構を巡ってみました。
近年はかつての深名線の沿線人口も激減し、産業構造も変わってしまいましたが、遺構を通して地域の歴史を振り返り、同時に未来を見直してみるのも大切な事ではないかと思いました。
この記事を書いた人
hoshiboo
1959年産。
函館で生まれ育ちましたが、キャンプで全道を回るうちに道北の小さな集落に惹かれ
そこに友人も何人か出来てしまって、十数年前に移住。
山間部で家庭菜園を楽しみながら、時々旅している地産地消を推すおっさんです。
ブログ:Hoshiboo Works