道北の名寄と稚内の中間ほどのところに、問寒別と言う小さな町があり、宗谷本線の中継駅である問寒別駅があります。
以前はこじんまりとした木造の駅舎がありましたが、1986年に解体撤去。
以後は、写真の様な貨車駅舎が設置されています。
幌延町営軌道はこの問寒別駅を起点に、1930年に馬車軌道として開業。
始めは殖民軌道として、その後奥地の鉱山から産出されるクローム鉱石や、石炭の運搬にも使われましたが、炭鉱の閉山、高度経済成長に伴う沿線の離農者の増加により、1971年に廃線。
今ではわずかな遺構だけが遺された、その廃線跡を訪ねました。
問寒別駅で嬉しいハプニング!!
スタート地点の問寒別駅。
せっかくなのでちょっとホームまで出てみました。
すると遠くからカンカンカン♪と、踏切の警報音が聞こえて来るではありませんか!!
いゃあ~、ラッキ~ですよ、これは♪
はてさて、こちらに向かっているのは貨物列車なのか、ワンマンカーなのか???
しばらく待っていると、やって来たのはなんとなんと特急スーパー宗谷じゃあーりませんか\(^o^)/
問寒別は通過駅なので、走り去るスーパー宗谷を目の前で見る事が出来ました(^^♪
数少ない遺構との遭遇
問寒別駅から北側に、路盤跡と思われる草地を横に見ながら、道道583号線を二十線地域に向かって進みます。
すると、ヌポロマポロ川にかかっていた橋の橋脚がありました。
路盤の跡はもう生い茂る草に隠されて全く見えませんね。
廃線から半世紀近く経っても壊れずに残る構造物も凄いですが、同時に自然の回復力のパワーにも圧倒されました。
ここからさらに数キロ進むと、問寒別川に架かる橋の左手に橋台の姿が!!
かつてはここに橋がかかり、蒸気機関車やガソリン気動車が沿線の住民、農畜産物、石炭などを運んでいたんですねぇ。
ここからもう少し行った先の二十線地区には、幌延町営軌道の終点跡の碑や、軌道事務所の建物があるはずだったのですが、草木が生い茂ってしまって見つける事が出来ませんでした。
事務所は崩壊が進んで潰れてしまったのかも知れません。
かつての鉄道沿線には数軒の農家が残るだけとなり、過疎化が進む問寒別ですが、駅前食堂を再開させて地域の復活を目指すご夫婦がいらっしゃると聞きました。
食堂の名前は「demonde(ドゥ モンド)」。
次回の問寒別訪問時は、そこで食事をしようと画策しています( ̄∇ ̄)v
この記事を書いた人
hoshiboo
1959年産。
函館で生まれ育ちましたが、キャンプで全道を回るうちに道北の小さな集落に惹かれ
そこに友人も何人か出来てしまって、十数年前に移住。
山間部で家庭菜園を楽しみながら、時々旅している地産地消を推すおっさんです。
ブログ:Hoshiboo Works