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留萌・羽幌

羽幌炭礦鉄道跡 50年を経て残る構造物たち 

羽幌町築別と築別炭鉱、および羽幌坑を結ぶ羽幌炭礦鉄道は、1941年に開通し、1970年、炭鉱の閉山と共に廃線となりました。

往時は沿線に街が出来、人口も多かった地域ですが、今は静かな農村地帯に変わっています。

かつての賑やかだった時代を想像しながら、廃線跡を訪ねて来ました。

なんとも不思議な佇まいの鉄橋が!!

築別地区から築別炭鉱のあった山間部へと向かい車を走らせます。

駅跡は草むらになり、路盤跡は水路になっていたりして、やがて人家もまばらになり…

すると曙地区が近くなってきた辺りで築別川に残された鉄橋が1つ2つと現れ出しました。
しかしどの鉄橋もよく見ると様子が変なんですよねぇ。

変でしょ?

そうなんですよ。橋脚が不ぞろいなのです。橋桁の高さも違っていたりして。

何でこんな事になっているかと言うと、この路線の建設当時は戦時中で物資不足。

各地から中古の橋桁やその他の物資を調達しての苦肉の策だったようです。

でも今となっては、逆にそれがファンキーで格好いい感じさえします♪

迫力の建造物に圧倒されました!!

曙地区は、線路が築別炭鉱と羽幌坑に分岐していた曙駅があったところ。

駅があったあたりの向かい側の丘の上に神社がありました。

曙神社です。
100年以上にわたり、賑やかだった頃も、多くの人が去ったあとも、丘の上から集落を見守り続けて来たんですねぇ。

そしていよいよ築別炭鉱で賑わっていた地域に入ります。

とっかかりにあるのは、羽幌町立太陽小学校の建物。

ここは倒壊の危険性が高く立ち入り禁止となっていましたので、標識だけパチリ。

2018年には雪の重さで、写真にある円形ドーム型の体育館の屋根が崩落したそうです。
そしてドーンと現れたのが、この築別炭鉱のホッパー棟の建物。

息をのむほどの物凄い迫力でこちらに迫ってくる感じです。

今は草ボーボーで人の気配は全くないですが、当時はここで沢山の人達が働いていたんですね。
れは羽幌炭礦鉄道病院の建物だそうです。

こちらはかなり倒壊が進んでいました。

往時を偲ばせる三毛別地区の遺構

一旦曙地区に戻り、今度は羽幌坑のあった三毛別地区へ向かいます。

農村地帯を少し走ると、左手に現れたのが羽幌町立北辰中学校の建物。

1964年に2校の統合で開校したものの、その後炭鉱の閉山で生徒は激減し、1975年に閉校。

閉山直前には300人近い生徒がいたそうですから、当時の地域の賑やかさが想像できますよね。
さらにズンズン進むと、ついに羽幌坑のホッパー棟と運搬立坑が見えてきました。

この辺りは、炭鉱関係のこれらの建物を除くともうすっかり原野になってしまっています。
かつては、この地域に鉄道が走り、沢山の住宅があり、お店や食堂、銭湯等もあり、大勢の人で賑わっていたんですねぇ。

わずか50年でここまで人がいた痕跡を消してしまう自然の力にも驚かされました。

ということで、ここまで、羽幌炭礦鉄道跡の遺構を紹介してきました。

遺構は、どれも倒壊の危険性があり立ち入り禁止となっていますので、見学の際はご注意くださいね。

【羽幌炭礦鉄道跡】

北海道羽幌町築別~曙~築別炭礦跡、曙~羽幌坑跡

羽幌町築別地区から道道356号線を16キロ程入る。

この記事を書いた人

hoshiboo

1959年産。
函館で生まれ育ちましたが、キャンプで全道を回るうちに道北の小さな集落に惹かれ
そこに友人も何人か出来てしまって、十数年前に移住。
山間部で家庭菜園を楽しみながら、時々旅している地産地消を推すおっさんです。

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