アイヌ民族

稚内市樺太記念館 日本の最北端で歴史を学ぶ♪

日本最北端の駅・稚内から国道40号線を1キロ程戻ったところに建つ副港市場。
その建物の二階の一角にあるのが、稚内市樺太記念館です。
元々はアイヌ民族その他の先住民が住み、その後日本人やロシア人も混住。
そして日露戦争後は日本の領土となった樺太の、暮らしなどに関する資料が展示されています。

あの人と樺太との意外な関係

かつて日本の領土であった時代は、樺太島全てがそうだったのではなく、アイヌ民族などが住んでいた北緯50度以下、所謂「南樺太」が日本の施政下に入りました。
これは、北緯50度の国境に建てられた国境標石(レプリカ)のロシア側に向けられた面です。
国境には4基の標石が置かれ、その南側に日本人が居住しました。
先住民族であるアイヌ、ウィルタ、ニブフの暮らしを紹介したパネルもありました。
極寒の地で質素な家に住み、狩猟で暮らしを支えた彼らのたくましさには驚かされます。
氷上での魚釣りも、今私達か娯楽でやっているワカサギ釣りなんかとは違って、家族の命がかかってますからねぇ。
こちらは、あの宮沢賢治氏と樺太との関係を知ることが出来る展示です。
当時農学校の教員として働いていた賢治は、農学校生の就職斡旋の為に樺太へ向かいます。
それは同時に、前年に亡くしていた最愛の妹「トシ」との魂の交信の旅だったとも言われています。
賢治はこの時、旅程での心理を綴った詩を数多く残しています。
同時にこの樺太への旅が、名作「銀河鉄道の夜」を生むキッカケにもなりました。

こんな珍品も展示されていました

「樺太十六景・珍奇名勝第二輯(しゅう)」という絵葉書の拡大版です。
ダブルプリントというのは、シルク印刷の事なのかなぁ。
時代を感じさせる字体や色づかいではありますが、絵の出来は中々のもの。
今ではこの絵葉書そのものが、珍しくて貴重なものになっていますね(^^

これは見た瞬間ちょっと引きました。よく見たら、銀黒狐の襟巻でした。
樺太では、高級品である銀黒狐の毛皮を得る為の養狐業が盛んで、多くの銀黒狐がアメリカなどに輸出されていたそうです。
この精巧なジオラマには、グッと惹き付けられました。
かつて稚内駅よりも北の、防波堤ドーム内にあった稚内桟橋駅のジオラマです。
防波堤ドームは、堅牢な作りで、デザインも近代的なものですが、完成したのはなんと1936年。
実は歴史的建造物だったんですね。

建物の一階にも興味深い展示が♪

樺太記念館の見学を終えて一階に降りると、こちらにもまた魅力的な展示がありました。
「稚内市港ギャラリー」という、1950~60年代の街を再現したブースがいくつもありました。
昔の街の路地って、こんな感じでしたよね。懐かしいなぁ~。
今はほとんど目にする事のなくなったホーローの看板や赤電話。
円柱形のポストに、街角の小さな煙草屋さん。

建物の壁に貼られた映画のポスターも、随分昔のものですねぇ。
桑野みゆき、山本豊三のお二方が「夢のトップコンビ」だったんですね。
「若い素顔」は1959年の映画。森繁さん主演の「大工太平記」は1965年の作品。
稚内港駅のブースにあった、ダルマストーブと木製のソリも、私は記憶にありますねぇ。
このソリは荷物運搬用なのでしょうけど、私はちっちゃい頃、これの小ぶりのやつで遊んでました。
ここでは紹介し切れませんでしたが、古い時代の食堂や映画館、電気屋さんなど、1950年~60年代を知る人の郷愁をくすぐる展示の数々に、私もやられました(^^
樺太と日本の関係や歴史も学べて、懐かしさにも出会える樺太記念館でした。

【稚内市樺太記念館】
稚内市港1丁目6番28号(稚内副港市場2階)
TEL.0162-73-6066
◆入場無料
営業時間:10:00〜17:00
休館日:4月~10月…無休、11月~3月:毎週月曜日(祝日の場合は翌日)

この記事を書いた人

hoshiboo

1959年産。
函館で生まれ育ちましたが、キャンプで全道を回るうちに道北の小さな集落に惹かれ
そこに友人も何人か出来てしまって、十数年前に移住。
山間部で家庭菜園を楽しみながら、時々旅している地産地消を推すおっさんです。

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