北海道には難読地名が物凄~く沢山ありますよね。
実はそのほとんどがアイヌ語地名に漢字をあてたものなんです。
このアイヌ語地名と言うのは、生活と自然が密接に関わっていた民族の暮らしの符号であり、その土地の特徴をよく表した地名になっているのです。
ここでは、国道232号線、通称オロロラインにあるアイヌ語地名を追って、その意味と、実際にその場所はどんな処なのかを紹介していきます。
では「羽幌」からスタートしますね。
地形の変化で地名と符合しない土地も
この「はぼろ」の地名解説には諸説あるのですが、土地の古い伝承は「hapur」(柔らかい)。
羽幌川の河口の砂浜が泥っぽくてそう呼ばれていた様なのですが、今河口付近はフェリーターミナルもある港になってしまい、その様子は分からなくなっています。
この様に、人の手が加わったりして、地名とは異なる地形になってる場合も多いのです。
羽幌から少し南下すると苫前町に入ります。
苫前は元は「toma-oma-i」で、意味は「エゾエンゴサク-ある-処」。
アイヌの人達は、エゾエンゴサクの球根がデンプン質を得るための大切な食糧でした。
その花が群生する処をtoma-oma-iと呼んでいたんですね。
オロロンラインはアイヌ語地名の宝庫
苫前から数キロ南下すると、ローソク岩が見えてきます。
これも北海道がアイヌモシリだった頃は、八雲町の黒岩の様に「kunne-shuma」(黒い-岩)と呼ばれてたんじゃないかなぁと思いながら、更に南下を続けます。
やがて「上平(うえひら)」と言う地区に入ります。
ここは元々はアイヌ語の「wen-pira」で、「悪い-崖」と言う意味。
なるほど、車で走っているオロロンラインの海側は崖になっている様子で、その昔、海岸沿いを歩いて移動する際に、岩などが崩れて危険な崖だったのでしょうね。
ついに地名そのものの地形に出会えました
上平から更に南下すると、「力昼(りきびる)」という地区が現れます。
力昼はアイヌ語では「ri-kipir」で、「高い-海岸段丘」の意味。
丘から海岸までの間に切り通しで道を作ってしまいましたが、地形は確かに高い海岸段丘です。道路工事や港湾工事、護岸工事、都市開発などで元々の地形がどんどん失われている北海道ですが、力昼はアイヌ語地名そのままの雰囲気を残している場所でした。
更に南下を続けると、鬼鹿と言う集落に入ります。
元々は「o-ni-usi-ka-pet」→「河口に-木が群生する-上-の川」で、川につけられた名前。
河口にあった森の中を流れる川だったんでしょう。
今は河口の一帯が市街地になっているので、雰囲気は味わえずでしたが…
小平町の町名の由来になっている「小平蕊川」の河口は、正にアイヌ語地名が表す地形そのものでした。
小平蕊川→o-pira-ush-pet→河口に-崖-ある-川。
写真の左側が小平蕊川河口で、道路を挟んで右が崖の部分です。
今は道路がワンクッションになっていますが、その昔は海岸段丘だったのでしょう。
小平から南下すると、オロロンライン沿いでは古くから栄えていた留萌市に入ります。
留萌は元々は「rur-mo-ot-pe」で、「潮が-静かで-ある‐処」という意味です。
留萌川の河口が、古くはそういう感じだったのかも知れませんね。
写真は、留萌市と小平町達布地区を結ぶ「萌平トンネル」です。
このトンネルは、旧天塩炭礦鉄道の路線にあったトンネルを拡張したものですが、トンネルの名前は、留萌の萌と小平の平をとってただ合体させたもので、アイヌ語地名の様に地形を表す地名にはなっていません。
もしアイヌ語で表すなら、「kim-un-par」=「山に-ある-口」でしょうか。
と言う訳で、北海道ならそこら中にある先住民アイヌ民族が残してくれた地名。
今回はオロロンラインの羽幌から留萌までを紹介しました。
【オロロンライン】
石狩市から天塩町までを結ぶ国道231号、232号の通称。
天売島に生息するウミガラスのオロロン鳥の名にちなんで命名。
このオロロン鳥は、日本海のニシンの減少と共に姿を消し始め、現在、北海道ではほとんど姿が見られなくなりました。
※参考書籍:北海道の地名(山田秀三著)、アイヌ語地名辞典(知里真志保著)
この記事を書いた人
hoshiboo
1959年産。
函館で生まれ育ちましたが、キャンプで全道を回るうちに道北の小さな集落に惹かれ
そこに友人も何人か出来てしまって、十数年前に移住。
山間部で家庭菜園を楽しみながら、時々旅している地産地消を推すおっさんです。
ブログ:Hoshiboo Works